セイレンチュウ..

世界ではなく君を選ぶ物語【天気の子 感想・考察】

概要

映画「天気の子」を見てきた感想を書いていきます。

この記事の対象

  • 映画「天気の子」を見てきた人



本編

こんにちは、alumiです。 天気の子を見てきたので忘れないうちに感じたことを書きなぐっていこうと思います。

以下、完全にネタバレです。未視聴の方は絶対に読まないでください。自分で見てください。

これは映画を見てきた人たちに「あーわかる!」とか「どうなんだろう?」を提供したい記事です。
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一度しか見ていないので、細かいところが違う可能性がありますのでご注意ください。

ストーリー

まず、自分の覚えている限りでストーリーを書き下してみます。
細かいセリフや設定、展開など違うかもしれません。

伊豆諸島の神津島を飛び出してきた、16歳の家出少年の帆高は東京でお金もなしにホームレス生活を余儀なくされます。
マクドナルドでビッグマックを若い店員さんに奢ってもらったりしながらネカフェでなんとか生活をつなぎ、雨の降り続く異常気象中の東京で仕事のあてを探します。
その生活中に893の紛失した拳銃なんかも拾ってしまいます。(後々関係してきます) 最終的に、東京に来る際にフェリーで出会った須賀さんという人の名刺を頼りに訪ね、帆高はオカルト・ゴシップ誌ライターのお手伝いを始めます。

須賀さんの元、「100%の晴れ女」のオカルト情報集めに駆け回る帆高はある日、街角で、風俗店のスカウトに無理やり連れていかれそうになっている女の子を発見します。
その子はホームレス生活中にビッグマックを奢ってくれたあの女の子でした。
その子を助けようとした帆高はスカウトと取っ組み合いになり、拾った拳銃をなんとぶっ放してしまいます。
幸い弾丸は外れ、それを機にその場をその女の子と逃げた帆高は、女の子に拳銃を発砲したことを怒られながらも、助けてくれたお礼を言われます。女の子の名前は陽菜。

陽菜は不思議なことを言い出します。自分こそが100%の晴れ女だと。そして帆高の前で実際に雨をやませて晴れ間を作ります。
この出来事をきっかけに仲良くなる帆高と陽菜。
陽菜は1年前に母親を病気で亡くし、弟の凪と二人で暮らしていました。お金を稼ぐためにあの日も風俗店のスカウトについていこうとしていたのです。
それを聞いた帆高は陽菜の晴れ間を作る力を使ってビジネスをしようと思いつきます。
雨が2ヶ月間も降り続く東京では、たくさんの人が晴れ間を欲しており、依頼は殺到します。
依頼をこなしていくうちに、晴天が人の心まで晴れやかにしてくれることに天気の不思議さを感じる帆高。

転1

しかし、警察が帆高の発砲、そして失踪少年の捜索として陽菜や須賀さんにたどり着きます。
陽菜自身、弟と子供達だけで暮らしているのは問題らしく、補導されかけます。
須賀さんも警察の厄介になるのはごめんらしく、帆高に数万円を退職金として渡し、もう関わらないでくれ、と突き放します。
そこから陽菜、凪、帆高の逃避行が始まります。それに呼応するかのように勢いを増す異常気象。
雨は土砂降り、夏なのに雪まで降り出す始末です。
警察に捕まりそうになりながらも、なんとか子供だけで泊まれるラブホテルを発見した3人。しかし、陽菜の体にはある異常が起きていました。
それは晴れ間を作る力を使いすぎたためのもの。「私は人柱なんだ」と陽菜は話し始めます。

それは須賀さんの姪っ子の大学生、夏美さんから聞いたオカルトの話でした。
天と人間をつなぐ役割をする天気の巫女。それがいつの時代も存在していました。陽菜は1年前の雨の日に新宿の線路沿いのビルの屋上にある小さな神社の鳥居をくぐった際に空と繋がり、自分は天気の巫女になってしまったのだと推測します。
そして、天気の巫女は最後は人柱として天に消えてしまう運命でそうしなければ異常気象が治らないのだとか。
「帆高はこの雨が止んでくれたら嬉しい?」と聞く陽菜に帆高は「そりゃあ、まあ…」と返事をしてしまいます。
その次の朝、陽菜は布団から服だけを残して消えてしまっていました。
そのタイミングで警察も3人の居場所を突き止め、ホテルに突入してきます。残された凪と帆高は警察に連れていかれてしまいます。

転2

警察に連行される途中で帆高は、陽菜が実は自分よりも年下の15歳であったのに、18歳だと嘘をついていたことを知ります。
陽菜がいなくなった世界で、空はからっからに晴れていました。人々は久々の晴天に喜びます。
しかし、帆高だけが、その晴天は陽菜を犠牲にして得られたものであることを知っています。
それを警察にもまくし立てますが、刑事さんがそんな話を相手にするわけもなく、むしろ精神鑑定まで検討される始末。
それでも陽菜にもう一度会いたい、という強い思いから留置所から帆高は逃げ出します。
運よく通りかかった夏美さんにバイクで乗せてもらい、陽菜が空とつながってしまったあの新宿の廃ビルを目指します。そこに行けば帆高も空とつながってもう一度陽菜に会えるかもしれない、そんなわずかな望みをかけて。
廃ビルに着くと、須賀さんが待っていました。須賀さんは以前、帆高からその話を聞いていたため、帆高がここに来ると予想していたようです。
帆高を警察に戻るよう説得する須賀さん。しかし、帆高はどうしても屋上の神社に行こうとし、須賀さんと取っ組み合いになります(なんと拳銃を天に向けて発砲します)。そんな中警察も追いつき、帆高は完全に刑事たちに囲まれます。絶体絶命の状況ですが、できる限りの抵抗をして、陽菜に会いたい気持ちを叫ぶ帆高。そんな帆高の様子が、愛する人に会いたいという気持ちをいまだに抑えられずいる自分と重なって見えた須賀さんは、刑事たちにタックルし、帆高を助けます。
須賀さんも過去に妻を亡くし、ずっと会いたいと思いを引きずっていたのです。
もう一人刑事が立ちふさがりますが、保護観察下を元カノの力を借りて警察の目を抜け出してきた凪のタックルによってこれも突破します。
そして、ついにたどり着いた屋上の神社。帆高は鳥居をくぐります。

するとその瞬間、帆高の体は空の上に舞い上がって陽菜が見た景色と同じ景色をそこに見ます。積乱雲の上に広がる緑の世界に座り込んでいる陽菜をついに発見し、その手をつかみます。
「天気なんかずっと雨でいい。そんなものより俺は陽菜がそばにいてくれる方がずっといい」と空中で伝える帆高。

そして、気づくと二人はまたあの神社の鳥居に横たわっていました。
陽菜を取り戻したことで、再び土砂降りに戻る東京。そして、その雨は止むこと無く3年が過ぎ、東京はかなりの部分が水没しました。

3年後、高校を卒業した帆高は東京へ進学し、陽菜に会いにいきます。
雨が止まないことで、東京はかなりの部分が水没してしまいましたが、人によっては「昔はここら辺はほとんどが海だったんだ」などと、受け入れてはいるようです。
陽菜にあったら何を言えばいいのか。東京の水没の原因は陽菜自身であり、それを連れ戻した帆高なのです。
「気にするな」?違う気がします。
しかし、坂道の上で空に向かって祈っている久々に会う陽菜の姿を発見した帆高の口からその言葉は自然にあふれました。
「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ」

世界よりも、君を選ぶ

「すきだ」のシーンでボロ泣きした君の名は。と違って今回は途中まではあんまり泣いてなかったんです。
陽菜が消えてしまったシーンが辛くてうるっときたのと、陽菜と再び会えたシーンでよかったという嬉し涙を少し潤ませたくらいでした。

いや〜、でもEDでRADWIMPSの「大丈夫」が流れて一瞬にして涙のダムが崩壊した。

なんでか、今から書いていきます。

陽菜は15歳にして母親を亡くし、小学生の弟の面倒を見つつ稼がないといけない状況になりました。

そして、これに由来する陽菜の献身的な性格が垣間見られます。

晴れ間を届けるビジネスをやっている最中も、たくさんの人に喜んでもらえて、「自分の役割がわかった気がする」と帆高に語っていました。(セリフは少し違ったと思いますが)

そして、この雨を止めるためには自分は人柱にならないといけないと知ったときも泣きわめくわけでも無く、自分の中につらさをぐっと押し込めたまま、消えてしまったのです。
雲の上で、帆高から誕生日にもらった指輪を自分の透けてしまった体がつかめず落としてしまい、陽菜はつらさに顔を歪めます。
このシーンは見ていてとっても辛かったです。

帆高は、心のどこかできっと、それは陽菜が年上であるがゆえの強さだと思っていたのです。パトカーで陽菜が本当は15歳だったと知るまでは。

自分よりも年下の陽菜がつらい気持ちにじっと耐えている。それを知って、帆高の中である思いが生まれます。
もう一度彼女に会って伝えなくちゃいけない。

彼女だけが犠牲になって、もたらされた晴天にみんなが喜んでいる。
彼女もそれを悟って、自らの人柱としての運命を受け入れた。
「晴れの方が嬉しい」なんて軽率な返答をしてしまったがために、陽菜はその性格をもって誰かのために自分を犠牲にした。

確かに、須賀さんも言っていたように「晴れていた方がみんな嬉しい」のかもしれない。

でもそれは、少なくとも陽菜にとってはハッピーエンドなんかじゃない。帆高だってちっとも嬉しくない。

そして帆高は陽菜に再び会ったときに伝えるのです。

「もっと自分のために生きて」

と。

この映画にはこのような軸が一つ定められていたと思います。

陽菜は思い返せば母を亡くしてからずっと他人のため、と行動してきました。15歳の女の子がです。
みんなが喜ぶためには、みんなの望む晴天のためには自分が犠牲にならなければならない。
その選択はどれだけ辛かったことでしょうか。

それを自分のわがままだろうがなんだろうが何が何でも陽菜をつれもどしたいんだ、と強い気持ちで取り戻したのが帆高なわけです。

ED曲「大丈夫」の歌詞を見てみます。

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると
 
「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど
 
なんでそんなことを 言うんだよ
崩れそうなのは 君なのに
 
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/daijoubu-movie-edit/

ここまでのことを踏まえると、「君」は陽菜で「僕」は帆高ですね。

自分の方が何倍も大変なのにむしろ他人に「大丈夫?」と言えてしまう陽菜の作中での運命のつらさが、RADWIMPSの悲しそうな裏声でフラッシュバックしてめちゃくちゃ泣いてしまいました。

そういえば、君の名は。のときも事前公開のスパークル前前前世もいい曲でしたが、EDのなんでもないやが最高でしたよね。ダークホース。

須賀さんについて

世界の仕組みを変えてでも陽菜にもう一度会いたいという帆高の比較対象として須賀さんはとても重要です。

須賀さんは過去に奥さんを亡くし、それでも「大事な人の順番を変えられない」と言っているように、奥さんのことをまだ思い続けていることがわかります。

彼は警察に追われる身となった帆高に「もう大人になれよ」と言います。
そして陽菜が消えたこと、もう一度陽菜に会うため留置所を抜け出しまでした帆高のことを刑事から聞き、思わず自分の指輪を触って、自分でも理由のわからない涙を流します。

きっとそれは自分の姿を重ねたのだと思っています。

姪の夏美が「自分に似てるからほっとけなかったんでしょ」と言っていることからも、須賀さんは昔は帆高のような人物だったことがわかります。
きっと奥さんを亡くしたときも思いを断ち切れず、しばらく引きずっていたのでしょう。

そこで、大人になれ、と自分に言い続けて必死に気持ちを切り替え大人になった須賀さん。そして今、それを絶対にそれを諦めない帆高がいる。
それを見て、きっと大人になるために押し殺してきた昔の須賀さんの心が涙を流したのだと思います。

廃ビルでも、初め須賀さんは帆高を説得しようとします。
しかし、どんなに壁が立ちふさがっても決して陽菜への気持ちを諦めない帆高を見て最後は須賀さんは「お前らがそいつに触るんじゃねえ!!」と刑事にタックルするのです。
それはきっと過去の自分を助ける、そんな感覚だったんじゃないでしょうか。

帆高は結局、自分の気持ちを諦めなかったのです。
どんなに立ち塞がれても、陽菜を救いたい、もう一度会いたいという思いを貫き通した結果がこの映画のエンドとなっています。

終わり方について

結局東京は水没してしまったわけです。不可逆エンド。

本当のハッピーエンドなら「陽菜を連れ戻したけど、御都合主義でなんかうまくいって晴れ間も戻りました」ともできたはずです。
でも新海監督はそれをしなかった。
そこに監督がインタビューで語った「賛否あると思う」という言葉の意味があると思います。

どちらかしかどうしても選べない状況で、どちらを選ぶのか、という話なわけです。
どちらも、という選択肢が存在してしまっては白けてしまいます。

そこで、あえて、多くの人が望まないことだとわかっていることの方を帆高は選択するのです。
ある意味自分勝手な選択結果のバッドエンドとも言えます。

でも、それでいいんだよ、という意味を込めて新海監督はこのエンドを選択したのだと思います。

もちろん、実際にそんな状況になったらたくさんの損害が発生することでしょう。
それについてあれこれ考えてしまうと手放しで喜べない視聴者が出てきてしまうかもしれません。
だから、そこについては、最後のシーンで「昔は関東平野も海だった」とおばあさんに語らせたり、須賀さんに「気にするな」と言わせたりしてフォローを入れて、みんなの求めてる文句なしハッピーエンドとは違うモヤモヤを薄めているんだと思います。

君の名は。が文句なしのハッピーエンドでヒットしたのに、次の作品はあえて賛否あるだろう終わり方にして、不評の嵐でも困るからフォローを入れていると言ってもいいかもしれませんね。

主人公たちの年齢が比較的幼い、というのもそのためかもしれません。
あの年頃では他人のために自己犠牲となれる陽菜がむしろ異常です。

だからあえてこう言いましょう。

「僕たちは大丈夫だ」と陽菜に声をかけるラストシーンは、少なくともこの選択が彼らにとっては後悔などするに値しない「大丈夫」な選択だったことを示す、確かなハッピーエンドだったのです。

個人的感想

今の気持ちを忘れないための日記みたいなものです。私用です。

新宿のTOHOシネマズで見てきました。
実は大学2年生のときに神津島東海汽船を利用して行ったことがあって、冒頭のフェリーのシーンから興奮してました。

あと、歌舞伎町とか新宿周辺が非常にリアルに描写されていて、「あれ、ひょっとして帰るときに聖地巡礼できる??」みたいな感じでした。笑

新海監督は「君の名は。」で予告編から完全に映画で裏切ってくるという前科があるので、今回は絶対に騙されないぞ、と思い見てしまった節があります。

その結果、初めの病院のシーンから、(このベッドに横たわっている人物は実は帆高くんで夢の中の話なのでは?)とか(陽菜が空とつながったとき、実は陽菜は足を滑らせて死んでしまっていたのでは?)とか無駄に斜めな考察を伸ばしてしまって、実際はストレートな物語で、ある意味でまた裏切られてしまったみたいです。笑

東京という普段から利用している身近な場所が舞台で、風景もものすごくリアルなので、あ、ここあの場所じゃない?と予想をつけたり、陽菜の作る料理が美味しそうだったり、猫の「雨」が見事な成長(劣化?笑)を遂げていたり、途中から帆高が凪のことをナチュラルに先輩と呼んでいたり、瀧くんと三葉ちゃんががっつり出てきたり、夏美ちゃんの就活エピソードはこっちの胸が痛くなるくらい共感できたり、小ネタがたくさん含まれていて終始楽しませてもらえました。

とても満足度の高い映画でした。

個人的には水没した東京については、めちゃくちゃ水中を探検してみたいのでそこまでバッドエンドとは思っていません。
現実的に色々考えたらけっこうな損失でしょうけどね。 あと町の水没というワードからは「つみきのいえ」を思い出しました。

凪くんの言ってた「付き合うまでははっきりと、付き合ってからは曖昧と」は深すぎて何も言えないので僕も先輩と呼ばせていただくことにします。笑

ツイッター上で分岐ルート映画だったと一部で騒がれているようですが、確かにその通りで、例えばFateのHeaven's Feelとかと似ている気がします。
あれも士郎が「桜だけの正義の味方になる」という選択をしたルートなわけですし。

そんな感じで、賛否両論大歓迎とは言いつつも今回も評価は高いんじゃないかと思います。
あと、RADWIMPSは天才。歌詞付き音楽を演出として用いて大事な場面を盛り上げるという手法が今回もできたのは、やはりグランドエスケープのような素晴らしい楽曲をRADWIMPSが作ってくれたからこそだと思います。グランドエスケープのサビの入り前のセリフかっこよすぎたなぁ…

また、感想コメントなどもお待ちしております!

それでは!