セイレンチュウ..

【ネタバレあり】映画「Diner」の感想と考察

概要

映画「Diner」を見てきた感想を書いていきます。

この記事の対象

  • 映画「Diner」を見てきた人
  • 映画「Diner」未視聴でネタバレを気にしない人



本編

こんにちは、alumiです。

院試の勉強をしないといけないんだけど、少しやる気を削がれてしまってる。これは良くない。
なんて思いながら、今日も1日を終えてしまいました。

今日は映画「Diner」を友達と見に行ってきたので、その感想を書いていこうと思います。

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原作・コミカライズともに読んでいませんが、映画のネタバレはガンガンしていくので、NGな方は注意してください!



映画「Diner」について

f:id:alumi-tan:20190715073159p:plain この映画を知ったのはとあるYouTuberの動画がきっかけで、それで予告を見てみて蜷川監督の映像美に惹かれて面白そうだな、と思い見にいくことにしました。

ボンベロ(藤原竜也)という元殺し屋のシェフが経営する殺し屋専門の飲食店(ハンバーガーがメイン?)「Diner」にオオバカナコ(玉城ティナ)という一般人が買われたというエピソードから話が始まります。

次第に物語はボンベロの属している組織の抗争へと発展し、そこにボンベロとカナコの二人は巻き込まれていきます。

概要はこんな感じです。

映画「Diner」のメインテーマとは

f:id:alumi-tan:20190715073313p:plain 映画というものはいくら原作があろうと、一つの軸を決めて2時間の物語として筋を通す必要があります。(逆にそれができていない映画はどうしても視聴者さんにモヤモヤを残すと思っています)

そしてそれが尺の都合などで原作と異なってしまうと、実写化失敗と叩かれてしまう一つの要因となるのだろう、と考えています。

今回の映画「Diner」において、それは「カナコの孤独感」だと思いました。

カナコは冒頭のモノローグで語っているように、「自分は世界から必要とされていない」と周りを信用せず、それゆえ周りからも信用されない、そんな人生をこれまで送ってきました。
それは彼女が小さい頃両親の離婚を機に母親に見捨てられた(姉は連れていってもらったのに自分はおばあちゃんに預けられた)という過去に由来するものでした。

「誰からも必要とされていない」。そんな思いをdinerに訪れた殺し屋スキン(窪田正孝)にも語っています。

Dinerでなんとか命を繋いでいる間も、ボンベロから誰かのために料理を作ることが美味しい料理を作る秘訣であることを教わったり、「いらなくはない」といった言葉をもらったりと、テーマを示唆するようなセリフが多く出てきます。

そして、最終局面、無礼図(真矢みき)の追跡からカナコだけを逃がそうとするシーンで、「外に出ても私は誰からも必要とされていない」と抵抗する彼女にボンベロはこう言うのです。

「お前はもう必要とされている、外でもないお前自身に」

そうして彼女は無事脱出し、ボンベロが道連れにした組織の長から追跡されることもなく彼のようにまた(今度は普通のですが)Dinerを営むのでした。

これがこの映画の軸にされたテーマだと思います。これを踏まえると、全体的にうまくまとまっていました。

そもそもスキンやキッドは本来「カナコの孤独」というテーマにはあまり関わってこないキャラですが、この二人を出さずにはDinerの面白さは半減してしまいます。
ですので、どうしても一つのテーマについてだけを貫くというような脚本構成にはできなかったであろうところが個人的には少し惜しいと感じた点です。

カナコがボンベロに心を動かされ、ボンベロもまた同様に心を動かされる様子をもう少し丁寧に描いていけたら、中盤のスキン暴走後のカナコとボンベロの対峙するシーンや最後の料理を教えるシーン、そしてラストのキスシーンも良さが倍増したと思います。

しかし、実際には同時進行で組織の不穏な動きやクレイジーな殺し屋たちのエピソードも進行させなければならず、多くの風呂敷を広げることになっていたので、少なからず「あれ、いつからかなことボンベロはこんなに心を通じ合わせていたんだ?」となったお客さんもいたのではないかと推察します。

とはいえ、藤原竜也の演技がとても良いので見せどころはきちんと見せどころに仕上がっていますし、蜷川監督のエンターテイメント的な演出も良い効果を出して、盛り上がっていました。

スキンについて

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改めて窪田正孝最強だな、と思った役です。

スキンという殺し屋が序盤〜中盤にかけて出てきます。
彼はボンベロと同じ組織の長の一人、マテバ(小栗旬)に使える殺し屋です。
カナコがウエイトレスになってから初来店したシーンでは、母親が作ってくれたスフレについての思いを熱くそして狂信的に語ります。そして、ボンベロが必ずそのスフレに異物を混入させて完璧なスフレを食べさせてくれないことを嘆きます。

カナコはそれを聞きかわいそうに感じ、物語の中盤で、ボンベロにスフレの調理の最終工程を任された際に異物を勝手に取り除いて出してしまいます

しかし、完璧なスフレはスキンにとって母親を思い出させてしまうトリガーであり、(母親に虐待をされていた?)それを食べたスキンはハイな状態になって暴走してしまいます。
この世に思い残したことがなくなってしまったスキンは、カナコもろとも自爆しようとし、ボンベロは阻止するため仕方なくスキンを射殺します。

この演技が最高にはまっていました。

スキンは序盤からとても優しく穏やかそうな青年でありながら、どこかに不安定さを感じさせ、「絶対何かやばい一面がある人物だ」と思わさせられました。
実際完璧なスフレを食べて豹変したシーンはとても見ごたえのあるもので、予告にもある「生きててよかったああああああ!!!!!」は最高でした。はい。

見ている最中は、スキンはもっと腹黒いキャラだと予想してたんですけど、意外と素直なキャラでしたね。

カナコに優しくしているのも裏に「自分を信用しきっている人間を殺したい」なんてどす黒い願望が隠れているからだ、なんて邪推していたので、そこは少し拍子抜けした感じはあります。
カナコにくれたイチゴ飴も実は毒入りで、それをカナコが菊千代にあげたときは(あ、このブルドッグ死んだわ)なんて思ってましたが見事に予想を外して、(あれ〜いつ死ぬんだろう、いや死なへんのか〜い)となって恥ずかしいです。

キッドについて

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本郷奏多ってこういう役多いですよね(笑)
そのせいかキッドもスキン同様めっちゃはまり役だったと思います。

キッドは、人をバラバラにする衝動を抑えられない子供の姿をしたクレイジーな殺し屋です。
暗殺対象を油断させるためにあえて子供の体へと肉体改造をしているらしく、顔つきや大きさと肉体が全くマッチしていなくてとても気持ち悪かったです(褒め言葉)
あれ、さすがに映像いじってるよね?(笑)

キッド単体はとてもよかったんですけど、やはりキッドのエピソードは映画の軸である「カナコの孤独」に直接関連がないため、どうしても「お前なんか必要とされてないんだよ!」と追い討ちをかける役回りぐらいしかできず、また、組織の内部抗争にも関わっていないため、ストーリー的には使いづらかったのではないかな、と思います。

メインテーマをぼやけさせてしまう一因にもなっていたかな、と。

それでいて最高に映像映えする個性的なキャラなんだから困りものですよね。

良かったところ、残念だったところ

これまでにも少し語ったように、主軸であるボンベロとカナコのストーリーが若干ボヤけているのは残念だったかな。
ボヤけてしまった要因には、説明したように、

  • キッドやスキンについて、組織の内部抗争についてなどいろいろな話を同時並行でやっていかなければならなかったこと
  • アートよりの演出だったのでカナコがどうして自分を必要とされていないと感じるようになってしまったのかが少し伝わりづらいこと
  • ボンベロ側の過去や心情がほぼ明かされていないこと(これは原作もそうなのかもしれませんが)

などがあると思います。

しかしそれを含めても十分うまくまとまっていたと僕は思います。
映画化する時点でどうしても尺は変化しますからうまく物語をリサイズしないといけないわけですし。
また、映画にしたメリットというものもやはりあって、Dinerのセットがアングラ感と良い雰囲気のBar感が共存して絶妙な雰囲気だったり、アクションが見ごたえのあるものだったりと、蜷川実花監督は個人的には合っていたと思います。

原作はかなりグロいらしいですが、そこもアートとエンターテイメントに昇華させていました。(殺すシーンは画面外、血しぶきの表現はリアル路線ではなく花びらを舞わせるなど)
グロいのは少し苦手なのでそこも良かったです。

まとめ

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俺はぁぁぁああああ、ここのぉぉぉおおお、王だ!(ドヤ

配役と演出がはまる人にはとてもはまると思います。
ストーリーだけでなく、エンターテイメントとして作品全体を楽しむ映画でした
このブログは基本的にはすでに映画を見た人に向けて書いたつもりですが、もしまだの人で興味が湧いた方は是非映画館へ!

また、感想コメントなどもお待ちしております!

それでは!