セイレンチュウ..

生き残る戦国YouTuberは誰だ

概要

YouTuberについて少し思ったことを書く。雑記。

この記事の対象

  • 暇な人



本編

YouTube高校野球部の強豪化

YouTuberって最近勢いがすごいよね。
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僕は家にテレビがないのでYouTube結構ハマってて、水溜りボンドとか東海オンエアとか北の打ち師たちなどの日常系の人たちからFate Gamesさんとかプテラたかはしさんとかゲーム実況系の人まで色々見てる。

YouTuberがなぜこんなに流行ったか、もうすでに散々分析されていると思うけど、1本の動画が数分〜20分程度で終わるためお手軽だということが一つ大きいポイントだと思う。

最近ではあえて数十分の長い動画を出す投稿者も増えてるけど、そもそもYouTubeがなぜこんなに流行ったかというとやっぱりこの要因が大きいと思うんだよね。
僕も含め、テレビを持たない若者は増えてきている。また、テレビ番組も常に若者をターゲットにした番組を作っているわけではない。

そういった背景からスマホ世代を取り込んで、YouTubeは新しいメディアとして発展していったんだろうなと思う。

そして今やYouTubeは黎明期を過ぎ、少しずつ、でも確実に、環境が変化してきているのかな、と思う。

これは一部のYouTuberたちも気付き始めていることだけど、今のYouTubeは有名チャンネルのファン固定化、配信の多様化が進んで、かつYouTube全体で新規視聴者が増えるスピードが鈍化しているらしい。
そのためチャンネル同士でファンを奪い合っているという側面が強い。

ここでいうファンというのはチャンネル登録者じゃないよ。動画を見てくれる人たちのこと。登録者数ではなく再生数の話。

結局YouTuberの収入は再生数に応じたものであるので、チャンネル登録者数より再生数の方が大事。しかし、はじめに言った通りYouTuberの発展は隙間時間に気軽に見られるという性質に由来している。

ここで、この隙間時間の奪い合いが発生しているのだ。

例えば、好きなチャンネルが10も20もある人が毎日そこであげられた動画をすべて見るか?
見ないだろう。隙間時間は無限にあるわけではないから。

まだYouTuberがそこまで多くなく、一人当たりの好きなチャンネルがせいぜい数個しかない時代は、投稿者は動画を毎日投稿してももれなく見てもらえていたかもしれない。
でも、現在はたとえ多くの人にチャンネル登録されていたとしても全く安心できない。

なぜなら一人当たり(時間的に)1日に見られる動画数が一定値で決まっているとして、その枠に自分の動画を入れてもらえなければ(たとえチャンネル登録されていても)見てもらえないからだ。

例えるなら、部員が少ないうちは真面目に練習しなくても試合に出られていたけど、部員数が増えて競争が激しくなってスタメンを落ちてしまった野球部員みたいな感じかな。その分選ばれたスタメンは強くなってるから強豪校にはなってるんだけど。

これがサブタイトルで、今のYouTube高校野球部は強豪校化しているって書いた理由。

また、動画の多様化についてもこのたとえを使って説明できて、〇〇系YouTuberって人たちは、要は何かのスペシャリストになることでスタメン入りを目指している選手たちと考えていいと思う。

強豪校化しているってことは視聴者側からしたらいいことだよね。全体的に動画のレベルが上がるわけだから。
でも投稿者側にとってみたらそこまで甘い世界じゃなくなってきたよって話なわけだ。

毎日投稿について

毎日投稿をするチャンネルは一時期に比べるとだいぶ少なくなった気がする。
少し前にヒカキンさんとはじめしゃちょーとシルクが毎日投稿やめます同盟を組んだ影響もあるのかな。

毎日投稿は、昔は視聴者に視聴ぐせをつけるという意味ではかなり有効だったけど、今はやるメリットが薄くなっている。

むしろ、それをアイデンティティにしているのでもない限り、しっかり企画を練ってより面白い動画を作ることを優先するべきだろう。
なぜなら上で書いた通り、視聴者の見たい動画にスタメン入りしなければ再生数が稼げない状況になっているから。

ヒカルあたりが同じようなことを言っていた気がするけど、彼はなかなかに鋭いなと思う。
投稿頻度を減らしてクオリティを上げることを実践している一人。でも後述するけど彼も少し失敗しているところはある。

提供は受けるべきか問題

少し前に大学の講義でキングコング西野亮廣の話を聞いたんだけど、その話を少し引用する。

「今の社会は個人の信用力がお金になるクラウドファンディングはその信用をお金に両替する道具。」

両替という表現は厳密には適切ではないと思ったけど(両替ということは信用は消えるということになるから)、考え自体はなるほどな、と思った。

じゃあ、どうやって信用を得るのかなんだけど、逆にどういう人が信用を得にくいのかを考えてみる。また西野の言葉を引用すれば、

「テレビに出ている人は信用を得にくい。なぜなら彼らはスポンサーからお金をもらう身であり、スポンサーのいうことを聞かざるを得ないから」

つまり、今の時代、スポンサーからお金をもらう(例:タレント)より、信用を武器に個人からクラウドファンディングや広告費でお金をもらう(例:YouTuber)方が信用が得やすいということだ。その上で彼は後者の方が賢いと言ってひな壇引退を宣言している。

事実として、現在、スポンサーからお金をもらう人たち、個人からお金をもらう人たち、収入面でどちらが上かと問われると、一昔前なら確実にテレビタレントの方が上だっただろうけど、今はどちらとは一概に言えなくなっている。(HIKAKINの年収はダウンタウンが聞いても驚くくらいなのだから少なくともトップ層は互角にやりあっていると推測できる。)

ここまでくると先ほど言ったヒカルの弱点がわかるだろう。彼は戦略的にYouTubeをやりすぎているせいで、どうしても「素」でYouTubeをやっている人たちに比べて信用を得づらいのだ。台本の存在に全く気付かないキッズ達からの信頼は得られているので、うまくやれている方だとは思うが弱点なのには変わりはない。
また、炎上したYouTuberも同様である。信用を失うのは何よりも痛手となる。

さて、ここから、スポンサーからお金をもらう人たちをスポンサーサイド、個人からお金をもらう人たちを個人サイドと呼ぼう。

上で説明したように、スポンサーサイドは個人サイドより信用が低い。

最近、若者の人気が個人サイドにも十分よっていることを受けて、スポンサーが個人サイドにお金を出して提供動画を撮ってもらうなんて案件が多く見られる。
これはまた面白いことだと思う。

個人サイドから見ると、提供を受けすぎるとそれは自分たちをスポンサーサイドに寄せることにつながり、結果的に信用を落とすことになる可能性がある。
これは信用を武器に稼いできた個人サイドにとってかなりリスキーなことである。慎重に提供は選ばなければならない。 少しでも「あ、この人本心じゃなくて演技してるな」と思われたらそれは信用力の低下につながり、それは個人サイドにとっての死活問題となる。

一方、スポンサーサイドから見てもこの状況はたまったものじゃない。
これまで自分たちにお金をくれていたスポンサーたちが個人サイドに目移りしているのである。それならば、自分も個人サイドによっていこうという思考になるのは自然だろう。
そういった理由で今、キングコング梶原の「カジサック」、オリラジ中田の「YouTube大学」、霜降り明星の「しもふりチューブ」など、本気でYouTuberをやるタレントが出てきているのだろう。なんならデヴィ夫人までチャンネルを開設したという話を聞いた。その事実がもう面白い。

これからの展開は?

2019年7月現在、スポンサーサイドは芸人を中心に少しずつ個人サイドへのシフトが、個人サイドは大手YouTuberを中心に少しずつスポンサーサイドへのシフトが進んでいる状況である。

これはつまり、垣根が曖昧になりつつあるということだ。

そして、芸人たちはやはりプロというだけあってトークスキルや優秀なスタッフを有しているし、すでに知名度を持っているので、遅れて参入したデメリットはあまりない。
実際、僕個人の意見だが、しもふりチューブもカジサックも(一部動画を除いて)面白い。

ということで、これからさらにチャンネル群雄割拠の時代になっていくのかな、と想像する。

戦国大名ならぬ戦国YouTuberが領地ではなく視聴者を巡って戦うのだ。

登録者数だけが全てではない。そこを真の意味で理解して次の戦略を売っていけるYouTuberがこの先生き残っていくのだろう。楽しみ。